8月6日が近くなると、広島・長崎の報道が増えます。あのイッセイ・ミヤケが被爆者であることを明かしてオバマ大統領に式典に参加を要請する公開の手紙を新聞に投稿したことや7人の米国人が謝罪の旅をしようと企画したところ、周囲の反対にあって謝罪をとりやめたことなどが伝えられています。いまだに全米では広島というと反射的にパールハーバーが引き合いに出されるようです。ただ、この報道については真珠湾は軍港だったことについては触れられていません。戦果も主に軍艦です。アリゾナとかミズーリ・サラトガなんて名前はそこで覚えたものです。
いっぽう、アメリカは市民を殺傷したのです。まあ、あまりにも自明でバカバカしくて誰も口にしないのでしょうが、これは明らかに重大な国際人道法違反です。空襲が市民の殺傷を目的にしたものであること、国際人道法の考えがなし崩し的に戦争の論理にないがしろにされてきたことを思えば広島の問題は、東京大空襲にもイラクの劣化ウラン弾空襲にもガザ空襲にもつながるのですが、そうした声はあがりません。
わたしは広島に行ったことはありません。大江健三郎の『ヒロシマ・ノート』も読んでいません。ヒロシマと言えば岡田英次の映画『ヒロシマ・モナムール』を思い出すくらいの人間です。わたしの記憶には、多分中学のときだったか小学校高学年のときだったか、おじさんの家で見せられた厚さ2~3cmもあるヒロシマの大型写真集があります。
焼けただれた背中、一面がれきの広場となった街、これが人間に対してできる人がいるのに驚いた記憶があります。パールハーバーなど比較にもなりません。ただ「残酷だね」などと口が裂けても言えないものでした。今で言えば9.11だって比較にならないでしょう。ただただ黙するしかない。それがピカドンでした。
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