『子どもを伸ばす音読革命ーぐんぐん国語力がついてくる驚異の「日本語一音一音法」』という本がある。著者の松永暢史さんは落ちこぼれ相手の家庭教師をやっていたときに、現代国語の一行も読めなかった子にさじを投げて、単語も教えない、音節も無視し、ただただ「ヒフミヨ」の一音一音を大声で発声する訓練を実施させたところ、現代国語はもとより、古文も読めるようになり、ひいては数学や他の教科の成績もあがり、当初想像すらできなかった大学進学を果たしたのだそうだ。
このとき使われた「ヒフミヨ」が楢崎皐月が提唱した上古代人が使っていたというカタカムナの四十八音だった。
日本語にたいする関心は、99年頃だったか、筑紫哲也のニュース23で「日本人の誇り」という特別企画をやっていたころから始まった。愛国心論議が盛んになるなか、「日本人は自らを誇るものではないが」といいながら、胴長短足で典型的なモンゴロイドに生まれたことをコンプレックスにしていたわたしが、脳溢血で倒れて、なぜか日本に生まれた「歓び」を考えていたとき浮かんだのが、自分がまだ日本語を使え、日本人の脳を持ったことだった。そこには、父が左脳をやられ、言葉を失ってなくなったという事情もあったが、それ以上に朝夕の鳥の鳴き声がわたしの日々の歓びだったからだ。
自然音を雑音としか感じない外国人に比べ、言語習得期に日本で暮らし日本語を獲得した人の脳は、自然音に感興を催し、鳥の声、虫の音、木々のざわめき、雨の音などに意味以前のいわく言いがたい感情を抱くという、角田忠信先生の日本人の脳説だ。確かに俳句や和歌はまさしくそれで成り立っている。
初春なら
「春は名のみの風の寒さや」という「早春賦」の一節
初夏なら
「目には青葉、山ほととぎす初がつお」
夏なら
「静けさや岩に染み入る蝉の声」
秋なら
「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 聞こえぬるかな」
いづれも声に出して読むとその光景がありありと思い浮かぶ。
「日本人」という正体の定かでない言葉でくくるより、騎馬民族であろうと雲南であろうと、蝦夷や薩摩隼人あるいは出雲族であろうと、縄文であろうと渡来であろうとそれはいい。「日本語人」というくくりならわたしたちは歓びを共有できるのではないか、とわたしは思っている。それなら、優秀であるなどと誇ることなく、歓びでつながりをつくれる。
それ以来、「三鷹くにうみまつり」やいろんなところで、この話をさせてもらっている。外国人の日本語教育に導入できないか? 言語中枢を損傷した障害者のリハビリにはどうだろう? 発語不全の子どもには試せないか?
日本語は不思議な言葉だ。世界中の表音言語で、一つの単音にさまざまな意味が内包されているなどというのは、少なくとも誰もが思い浮かべる印欧語のABCにはない。ましてや、それが宇宙の原理を体現しているのだから不思議だ。
たとえば、「ヒ」は陽(ヒ)がのぼってその日(ヒ)がはじまり、日光が(ヒ)カリとなってさしはじめ、陽が高くなると古木に火(ヒ)がおきる。おきた火は灯(ヒ)ともなり闇を照らす。生命力の根源をこの陽に感得した上古代日本人は、これに霊(ヒ)もあてた。「むすひ」は、現在では「結び」と記すが、もともと「蒸す霊」である。また、このエネルギーに焼かれ乾燥したものに、干(ヒ)を当て、太古の保存食である腐らないヒモノを見つけた。こうした音にまつわるエネルギーの宇宙的連鎖を楢崎は思念と呼んだ。ヒの思念は「陽日火灯霊干玄」で、これを謳ったの歌が
久方の光のどけき春の日に、静ごころなく花の散るらん
である。
この話を京都でであったオランダ人のカップルにしたところ、たいへん関心し興味を持ってくれた。日本語を習っているらしく、東は一日の陽が草木を育てると書くと習ったと話していた。かつて「ひんがし」と読んだ「(ひ)がし」も。「ひ」のかし、彼岸の河岸の意味だろう。
彼らの疑問は、もし「同じ音なら日と火をどうやって聞き分けるんだ」ということだった。
そんなこと考えたこともない。間違ったこともない。文脈でわかると返事したのだが、納得できない様子だった。「いい日旅立ち」を「いい火旅立ち」と間違える人はいないだろう。日本語人は、文脈を読む、拡大していえば、場を読む直観の達人なのではないか? 日本人の脳の不思議の謎をとく鍵がこのへんにあるのかも知れない。
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