ひらひらと ただひらひらと 花の舞う
形じゃなくて 言葉じゃなくて(真愚)
世界に類をみない、単音にさまざまの意味を持つ不思議な言葉にわたしがひかれるようになった経緯については、「原日本語の力」で触れた。この謎探しは、さまざまな方向に広かっている。
わたしにとってカタカムナの師匠でもある二上貴夫さん主催の「おいしいお豆腐と日本の言葉を味わう会」が経堂の「mame de cafe」で開かれるというので顔を出した。
江戸の俳諧文化をこの時代に遊ぶことで継承したいというのが、二上さんの願っておられることで、この日は、「前句づけ」という遊びをやった。「形じゃなくて 言葉じゃなくて」が先に与えられた課題、それに合わせて五七五の前句をつけるのである。俳句のような季語の制約はない。で、今朝つくったのが、この句。マンションの五階のドアを開けると、桜の花びらが飛んで来た。花吹雪だ。そのとき撮った写真が上の二点。
課題が難しい。とりわけ、後半の「言葉じゃなくて」はねえ。言葉にはならない細かな感情のうつろいを言葉で表現しろっていうんだから、日頃言葉で生きてると思ってるものにとっては難しい。「形じゃなくて」は、色即是空でいう「色」だから、まだわかりやすい。いわば、未明の形、未明の言葉探しのようなものか?
当日作ったのはこの四作だ。真愚はまあ、仮の俳号ね。ハンドルネームみたいなもん。もともと俳号は身分や肩書きにとらわれないように配慮されたものらしい。なんか判りづらいかと思って一言説明足しました。ダメなんだろうけど。
歩き出す 緑吹く朝 光のなかへ
かたちじゃなくて 言葉じゃなくて(真愚)
(この日、エレベータを降りたときの感じ。気持ちのいい朝だった)
ゆらゆらと さえずり響く 古へ
かたちじゃなくて 言葉じゃなくて(真愚)
(背骨ゆらしをやりながら)
ウッ苦い 四十八茶の 深みへと
かたちじゃなくて 言葉じゃなくて(真愚)
(店でコーヒー、ブラックで飲んで。多彩な色模様を「四十八茶に百鼠」というんだそうだ)
炊ける間の 手間ひま味わう ご飯セラピー
かたちじゃなくて 言葉じゃなくて(真愚)
(玄米炊くようになった娘の手紙から)
これは新鮮な体験だった。
さて、皆さん、俳味と無常は伝わったでしょうか?
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