前原国交相の八ツ場ダム凍結発言で、八ツ場ダムが中止か、継続かでかまびすしい昨今です。
ダム湖に沈む予定だったところに川原湯温泉があります。川原湯温泉の名旅館といえば、敬業館みよしやという源泉かけながしの宿があります。吾妻川の断崖絶壁に建てられた宿で、足の悪いわたしには、トイレがしゃがみこまなくてはならない和式だったのが残念でしたが、部屋の縁窓から眺め下ろす吾妻川の急流は見事なものでした。
今、検索してみると昨年の夏に新川原湯温泉に移ったそうで、創業以来300年続いた敬業館みよしやのあの風呂は体験できないようです。むささびの湯と宣伝していた今までの温泉は、体験できません。宿を出て美しい吾妻渓谷をあのとき散歩できたのが、今となっては嘘のようです。それでもいい、あの渓谷がダム湖の下にならなくて済んだのだから。
2009/10/20
2009/10/13
94歳になる母が、いきいきと話し出した。
幼い頃、多分小学校時代だろうか定かでないが、橋から滑り落ちて川にはまったときのことである。
「あー、これでおしまいだ」と落ちながら一瞬思ったそうである。
幸い川はそれほど深くなく、溺れ死ぬこともなく、九死に一生を得て川岸にたどりついた。
片方の革靴をなくしただけで無事にグズベリーのなるいばらの薮を抜けて、家の灯りに迎えられるように帰ったのだそうだ。
「あのとき死んでれば、今みたいに94迄生きて早くお迎えがこないかと思い煩うこともなかったのに」。このとき、母は寿命を悟ったようだ。
一番奇妙なのは「家に帰るとき心にあったのは、母様に叱られないかということだけ」と言う。
革靴は当時高価なものだったとはいえ、「母様に叱られないか」だけが気になったというのだ。
母にとっては忘れられない事件だったようだ。
その川も家も今はダム湖の下になってしまった。
母のふる里は犬牛別。と言っても誰も知らないだろう。
JR北海道で北の果て、士別のひとつ手前にある剣淵から数キロのところにあったようだ。今ではその名は地図にものっていない。
川辺川ダム、八ツ場ダム、ダム開発にはじめて待ったがかかった。
日本の北の端のダム湖にもこんな思い出が埋もれているのだ。