神様の場所と言えば、誰でも神社でしょって考えるよね。何でこんなこと考えてるかっていったら、娘が結婚式を下鴨神社で挙げたからです。下鴨神社の南には広大な太古の自然を思わせる、糺の杜(ただすのもり)が広がっています。ここに広がる風景は京都盆地の原風景と謂われています。この杜をバックグラウンドにして下鴨神社はあります。いや、あの杜がなかったら世界遺産に登録されなかったでしょう。あの杜こそが地になっての世界遺産だと言ってもいいくらいです。榎・椋木・欅・桂の木などの落葉樹が生い茂るだけの広大な虚無の空間です。
私が広大な杜をほんの僅か歩いたのはかれこれ3~4年ほど前だったでしょうか、この合理主義の時代に、これほど無目的で無意味な空間が他にあるでしょうか?
賀茂川と高野川に挟まれた三角州にできたここと対照的なのが、西の太秦にある蚕の杜神社(木嶋坐天照御霊神社=このしまにますあまてるみたまじんじゃ)です。規模はずっと小さいのですが、この蚕の杜は不思議な空間で、何やら霊気を感じさせます。役にたたない空間であることには代わりはないのですが、不気味な何だか人を寄せ付けない感じがするのです。ここには元糺池(もとただすのいけ)があって、その中心に三柱鳥居があるので知ってる人は知ってるでしょう。(2006/1/11 「巨石と太陽と京都」 参照してください。写真では元糺池は枯れていましたが。)近くに弥勒菩薩で有名な広隆寺があります。
いずれにせよ、神前結婚式では三三九度の杯(三献の儀)が交わされます。お供えしたお神酒を神さまと「共飲して」神の御魂(みたま)を戴く儀式です。
わけのわからない神さまと誓いの儀式をする。このことがわたしたちの意識をつくってきました。天・地・人、神明に誓うのです。神崎憲武さんは「かつてはさまざまな儀式で盃事が行われていた.結婚式の「三三九度」にはじまり「親子盃」「襲名盃」など,ひとつの盃を当事者と参列者で回し,約束事を固めるそのスタイルは,無形ながら拘束性を持つ契約事であり,生涯を契る儀式である」と書いています。ここには目に見えない神さまが抜けていますが・・・。
かつては、日本中に鎮守の杜がありました。家々には仏間があったり、神棚があってお神酒やご飯を供する習わしがありました。
わたしたち近代人は身の回りから神や仏を遠ざけました。今や家に神棚や仏間がない家は珍しくありません。かくいう私もその一人です。その結果が、私中心の利己主義であり、切り離された個人主義です。
今、わたしたちは目に見えないかみ様の場所の復権を通して、人間万能の人間中心主義を乗り越えようとしているのかも知れません。
コメント (4)
お嬢様のご結婚、おめでとうございます。
花嫁の父の心境いかがですか…..。
最近読んだ本に「GOD」を「かみ」と訳したのは大きな間違いだと書かれていました(明治以降のプロテスタントがこう訳したという話です)。
「かみ」は「うえ」という意味で、体の上にある「かみのけ」、料理屋や相撲部屋の上にたつ女性は「おかみさん」などなど、日本は「かみ」という言葉を上にあるものとしていろいろと使います。ですから、そこらじゅうにかみさまはいらっしゃる。
ですから、絶対唯一な「GOD」の訳であるのはおかしいという話でした。腑に落ちた話でした。最近またキリスト者たちとふれあうことが多く、いごごちの悪い思い(笑)やら、こちらの理論構築のために役に立ったりしています。といっても、私は彼らのことが人間としては大好きなのですけれど…。
コメント by noma yuko — 2008/5/31 @ 12:06:59
おめでとうございました、
羨ましいところでの結婚式です~~
コメント by けさみ — 2008/5/31 @ 12:49:44
お父さん、結婚式に来てくれてありがとう。
と、こんな公の場でコメントするのは可笑しいけれど。
神様論、尽きないね。
ただただ、心の中に、
神様の場所は持っていたいなあ。
神社に行って、二礼二拍手一礼の挨拶をきちんとすることに
恥ずかしさが消えたのは、
夫婦という単位で参拝するからかもしれないと
思った今日でした。
(下鴨神社にお礼参りしてきました。
素敵な素敵な久保田写真館の方々、今日もてきぱき
仕事されてたよー)
コメント by 香織 — 2008/5/31 @ 17:01:34
有岡さん、香織ちゃん、おめでとう。
香織ちゃんと初めて会ったのは、白州に乗馬に行った時でしたね。
まだ高校生でしたっけ。
こっちがジジイになるわけだ。
コメント by Tao — 2008/6/2 @ 22:10:11
コメント RSS
現在コメントフォームは利用できません。