前回、高血圧と紅麹(べにこうじ)で、紅麹が高血圧に効くと書きました。今でも、その効果は続いています。
わたしは平成16年に体の調子が良かったのに2度目の脳溢血を起こしました。このときのことは、今でも不思議でしょうがありません。最初のときのように、睡眠不足による過労があったり、ストレスによるタバコの吸い過ぎといった、明確に思い当たる因果関係は何もないのです。ただ吐き気がして川越の帯津先生の病院に行って診てもらいました。何も発見できません。ふに落ちないので1週間後くらいに新宿にある大久保病院に行ってCTをとってもらってわかったのです。大久保病院には降圧剤を処方してもらって思い出したようにときどき飲んでました。
CT検査室のある4階に,突然車いすが運ばれてきてびっくりしました。何もないのにと思っていたのです。
さいわい、このときの脳溢血は左脳の脳室(脳に空いた穴)に向かって進んでいたので、神経障害は出ないと言われたんですが、それから2年後、歩行がきわめて遅くなりました。杖なしでは歩くこともできません。ほんとうに障害者です。そのとき入院して血圧調整の二番目の薬を探しました。けれど、見つかりません。降圧剤を飲んでいても高かったのです。手に負えない高血圧でした。
それが、紅麹で助かりました。
成分的には紅麹に含まれるギャバだろうと紅麹本舗の舞田さんは言うのですが、こんなにも効くなんて・・・!。
わた止が飲んだ紅麹はお礼にいただいたものです。かれこれ10年になるでしょうか? 舞田さんの紅麹は、日本CI協会やムソーに紹介してあげたお礼にいただいたものです。当時は、まだ知ってる人も少なくて説得するのに大変で、扱ってもらいませんでした。帯津先生もあってはもらえましたが、「わたしはガン専門だから」とモニター用サンプルを置いてくるだけでした。おとうさんも善玉コレステロールを増やして、悪玉コレステロールを下げるとか、アメリカでニュースキンが取り扱っているとか、薬のように効くので全米医薬品局と全米食品協会が取り扱いに苦慮しているとか教えられましたが、もとはと言えば、紹興酒に使う麹です。医食同源の国ならではなんなのです。
脳血流障害で苦しんでいる皆さん、紅麹を試してみてください。
2009/1/4
2006/3/16
太陽のエネルギーと月のエネルギーについては古代からさまざまに言われ、膨大な研究があり、黄道十二宮で吉兆を占う星占いから女性の生理を月経と呼ぶように今もわたしたちの暮らしに息づいている。月のエネルギーと私たちの生理との相関は、『月の魔力』東京書籍 以降さかんに語られるようになった。わたしも太陽太陰歴カレンダーで暮らしている。
10日(金)に、NPO新月の木国際協会の認証祝賀会があり、四谷の会場まで行った。
「冬の新月の日の直前に伐採した木は、腐らず狂わず暴れず燃えない、千年持つ」という話をご存知だろうか?
新月の木伐採は一册の本からはじまった。地湧社から発行された「木とつきあう知恵」エルヴィン・トーマ著 宮下智恵子訳 が原点だった。同社からこの本の前に出版された山本克朗さん(エアドゥの創立者)の出版記念の講演会のあとの二次会で、翻訳をしていた宮下智恵子さんと同席してこの本の話を聞いた。確かそのときは、「冬至の前の」とおっしゃっていたような気がするのだが、定かではない。
いちおう新月の木国際協会の認定基準では、太陽暦10月16日~1月31日の間の新月の日の7日間に伐採され、伐採地で枝葉をつけたまま枯らす葉枯らしと呼ばれる養生をしたもので、履歴現認記録をとったものを認定することとなった。
本が発刊されてすぐに読んだ。今も、そのときの付箋がついている。「バウビオロギー」「呼吸し有害物質をろ過する素材」「蓄熱材として川原の石を運び込んだ」「静電気とシックハウス」といった頁に。
生きた木を切るというのはどういうことか? その木が燃えない(火が燃えつかない)というのは何なのか? 少なくとも木造建築は燃えるという常識を覆す新月の木への想いは膨らんだ。もしそれが本当なら、わたしたちの常識は少なくとも古代の智慧に遠く及ばないということだ。
わたしのなかでは、一年でいちばん日照が短くなる季節のそれも新月の前なら、木々も導管を細くして身を縮めているに違いない、地中から吸い上げる水分が少ないだけでなく、浸透圧も水分の組成もイオン状態も腐りにくい状態にあるのかもしれないという思いは何の異和感もなく当たり前に思えるようになった。だから、「冬の新月」が「冬至の前」かどうかは確認していない。
発刊後、著者が来日し、日本全国で新月伐採に賛同する人たちがあらわれ、北海道では新得共働学舎の宮嶋さんが賛同者集めに奔走しているのは聞いていた。NPOがつくられ、新月伐採木がオーストリアから輸入され建築された家があるのも伝わってきた。
この日は、輸入ものの新月伐採木でなく日本国内で生産が始まり、きちんとトレーサビリティするシステムができ、認証するシステムができた。同時に、浜松で製材業を営む榊原商店が認証を受けたという発表と祝賀をかねたパーティだった。わたしのほうは、この日の数日前、冬期オリンピックのニュースを見ていて、主要ジャンプ選手を排出した北海道の下川村が話題になっていた頃、札幌の「まほろば」に連絡したところ、新月の木伐採に取り組むという朗報を耳にしたばかりだった。「下川から誰か来てるかい?」が当日出席していた宮嶋さんに聞いた最初の質問だ。
わたしが出かけた目的はじつは、もう一つあった。というより、こっちが本命だった。ある人にあうためである。岐阜県立森林文化アカデミー学長の熊崎實さんだ。熊崎さんは地湧社が出す出版情報誌「湧」に、木質バイオマスのペレット(直径7~8mm、長さ2cmほどの、廃材を粉末にし圧縮した燃料)による地域暖房の成功実例を紹介していた。確かこれもオーストリアの村だったと思う。
ペレット生産は、生産コストが従来の林業の4倍くらいになるので、林業家にとって採算可能性が出てくる。よーするに森に入ることで生計がたつ。間伐材や現在廃棄している製材の残さが利用でき、一挙両得なのだ。間伐材を間引くのが日本の山の急務であり、持続可能なエネルギー源確保が必要なわれわれにとって、新月の木伐採とペレット生産を二本の柱にすれば、日本の林業は再生できるに違いないとわたしは確信している。
わたしたちは、化石燃料への依存から脱却して、燃料エネルギーでは自立できるのだ。適切な間引きができたあとは、段ボールを使ったカミネッコンなどを利用した植林で、50~80年サイクルの樹木成長と共生したエネルギー消費に抑制した暮らしをすればいい。これは史上なかったまさしく持続可能な世界だ。
そもそも、ペレットストーブのことは、去年の夏、冬には暖炉の火のようにチロチロ燃える火を見てくらしたいと思ったのがきっかけだった。この国では、都市部で暖炉というのは、いささかムリがある。そこへペレットストーブが
飛び込んできたわけだ。ペレットが流通し、燃えない木の家で、ペレットストーブの火を見て暮らす。この夢は実現不可能ではなさそうなのだ。