年が明けて四日目。年の初めに、抱負を語るという習わしが三日坊主を生んだり、有言不実行を悔いるようにしたのかどうかは知らない。
まあ、今年はも、今年こそはも、言えるだけでも元気なうち。
齢六十にして、後半生でやりたいこと100をあげて実行している嵐山光三郎に習って、その半分の50でもあげてみようか。
温泉・瞑想・カタカムナ音読・ホーミー・岩盤浴・エレメンツデザイン・書画・俳句・絵手紙・外国語・明晰夢などなど、まあ、やりたいことはたくさんある。たくさんでもないか? 50あげるだけでも大変だ。
それに、いくつか行きたいところもある。新しいところに行きたいわけではない。どちらかというと、過去に行ったことのあるところだ。
京都・綾部・讃岐・パリ・バリ。どこもそこで暮らす人々の生活にお邪魔して、
人がどにょうに暮らすのかを探りたい、というのが目的なので、数日間の観光旅行といわけにはいかない。いわゆる短期滞在型ということになる。
居場所もつくらなくてはいけないので、そうそう旅ばかりというわけにもいかないから、これは今年のというわけにはいかない。
まあ、日々と季節の抱負はあるけれど、「今年の」となるとなあ、あんまり思い浮かばないのだよ、実は。
わたしが、日々シンクロニシティで生きている。といってもなかなかそれをわかってくれる人は少ないので、それなら、日々起きていることをそのまま日記のように書こうと、前回、前々回と書いてきました。
「ラストサムライ」は、LOHASマニュアルを頼まれて、どうもこの英語がしっくりこないので、自分に馴染む言葉でいうとなんだろうみたいなことを考え出したのがきっかけでしたね。
そうすると、どうもわたしたち日本人はもともと極めてLOHAS的な暮らしの文化を持っていたんじゃないかと気がついたというか、頼まれたときから直感的にわかっていたわけです。
遡るというか「後ろ向きに馬にのる」っていう感覚ですか?
だからLOHASも磐座(イワクラ)も、古代もわたしには同じ作業です。遡るのは嫌いじゃない。というか、前にいくには後ろをきちんと見ておかないと進めないということだったわけです。
で、幕末・明治とか江戸と京都かなあ、と読みすすめながら、日本人の幸福感っていうところで、「ラストサムライ」にであったわけです。
昨日、旭屋で『ほんまに京都人だけが知っている』を見つけました。洋泉社から3冊シリーズが出てるんだけど、目次に「石」とあったので、これを選んだんです。
そしたら、書き出しが「ラストサムライ」の話です。
えっ、エッ、と思いますよね。だれでも。