この話は以前に書いたことがあるかも知れません。
06年の8月末にNHKで放映された「異文化の交差点スペイン」の番組についてです。
711年にイスラム化したベルベル人(北アフリカに住む民族)がヨーロッパに攻め入り、フランスのポワチエまで侵入。スペインはこれ以降、レコンキスタでイスラムを駆逐する15世紀半ばまで、イスラム文化圏となります。
イスラム圏がいかに美しく香しく豊かなところだったかは、最後のイスラム圏だったグラナダのアルハンブラに行ったことのある人なら想像できます。番組ではコルドバのモスクや図書館がイスラム文化の豊かさとともに紹介されていました。
そして中世以降、イスラムの遺跡をいかにキリスト教文化が利用し、そのことを隠そうとしてきたかを番組では語っていました。その時代に混血がすすみ、現在スペイン人という人たちの中にも混血の人がたくさんいることも言っていました。
ときどき暑い季節になるとアヌアール・ブラヒムのウードのCDを聞きます。このリュートの前身のような楽器は、西欧中世音楽以前のものでしょう。いかにもアラビアっぽいのです。そして、わたしいにはなぜかこれが懐かしいのです。
アルビジョワ十字軍が異端カタリ派掃討の名目でカルカッソンヌを落とし、100万人ともいわれたカタリ派が制圧され、南仏ラングドックからトゥールーズ伯の権勢をカトリックが略奪し、その勢いでイスラム化したスペインを平定していったんでしょう。14世紀から15世紀のことです。
わたしは専門家じゃないので、正確ではないかも知れません。ただ、この異文化の交差点スペインの歴史は、とても重要だと考えてます。というのは現在も続くイスラム対キリスト教文化圏の対立構図はどうもこのスペイン中世につくられたようだからです。
イスラムかカトリックかを問うのでなく、自らのうちに抱えた豊かさをこそスペインの人たちは誇ってほしいと、中世音楽やそれよりもっと前のアラブ音楽に魅入られているわたしは思うのです。
前々回、大阪で行われた磐座学会に参加した経緯を書きました。
連休を利用して行ったこの4日間のことは語りつくせません。そのときの思い出を今も反芻しています。日々に新しい体験を追体験しながら書くことにします。
10月は7日~9日が連休で、混雑が予想されたので前日に仁和寺の宿坊に泊まりました。この数年京都に行くときは宿坊を利用させてもらっているのですが、仁和寺の朝の勤行は金堂での声明だというので、以前から一度体験したかったのです。
今回の京都・大阪行きの目的には磐座学会に参加すること意外に、夏に頼まれたLOHASのマニュアル企画の取材がありました。京都綾部市に暮らして「半農半X」を提唱する塩見直紀さんと町家倶楽部を主宰する妙蓮寺住職の佐野充照さんのインタビューです。
京都駅前で塩見さんとインタビューというより旧友のような雑談をさせてもらって、仁和寺の御室会館へ。その夜は舞鶴の舞田さんが来てくれ、広沢の池までドライブ。中秋の名月ですから、月見には絶景のスポット。あいにく月は見えず、舟を浮かべる人も見えず、舟を浮かべる貴人を見に集まるクルマの混雑を逃れて、ファミレスで食事。気がついたら閉店時刻。4時間くらい話し込んでいました。
背骨ゆらしをしているうちに気持ちよくなるのですが、気持ちよさを目的にしているうちはダメでそれを超えた空白状態に至るのが大事と聞いたと舞田さんが言えば、とりあえず、入り口は気持ちよさでいいんじゃないと私が返す。
そのままでいくと、魔境とか気功の偏差といった話になるので、やめましたが、そんな濃い話で盛り上がるのですから、まあ、変なおっさん二人が最終客。
翌朝、ぽつぽつ小雨まじり。東京を立つときは大雨だったので、カミさんが薄手のフードつきレインコートを用意してくれたので、助かりました。御室会館から金堂までは健常な人でも5分はかかる広大な寺なのです。
金堂の国宝釈迦如来像は見事でした。開け放った扉から差し込む朝の光と百目ロウソクに浮かびあがるさまは、まさに陰翳礼賛。闇にとけ込んで金色の仏像が浮かびあがるのです。眼福とはかくやと思わせました。ここで護摩壇を囲んだ10人ほどの僧侶が唱える声明の気持ちよさといったらありません。法悦とはこのことかという体験でした。仁和寺に泊まったら朝の勤行参加は宿泊客の特権です。是非参加してください。一生ものです。
夏、札幌の「まほろば」で聞いた6人のチベット僧の声明は大地からわき上がってくるほどに低い声でした。これも強烈な体験でしたが、仁和寺の坊さんのバリトンも素晴らしい声でした。倍音は聞き取れませんでしたが、あれだけ美しいとそんなことはどうでもよくなります。
朝の闇、凝らすととける光声
お粗末。