ウーンと唸ったね。常々、スゴイ、ノンフィクション作家だと思っていましたが、やっぱりスゴイ人です。誰のことかって。日垣隆じゃありません。吉田司です。
その吉田司が満州国をとっかかりに新しい手法、コラージュ・ノンフィクションで日本と日本人の意識の古層に迫り、状況の連続性を俯瞰し提示した力作です。
貧も富も、明も暗も、古代も未来も、論理も情も、あらゆる意識の層の反応を引き受けて(例えば拉致と聞いて強制連行を想起できないような意識のありようのこと)刻々と変わってゆく世界をリアルタイムで処理するための方法論を著者はコラージュ・ノンフィクションといってます。ノンフィクションのモンタージュ。なるほど、ワクワクさせます。まあ、整合性のある論理や筋書きや細密な構成で語るのでなく、おおまかに素材を並べて場面を想起させるみせるみたいな方法とでもいえばいいでしょうか?
ちょうど『レンヌルシャトーの謎』読み出したら、こっちの著者、ダヴィンチ・コードの大元の仕掛人ヘンリー・リンカーンも同じこと言ってました。コラージュ・ノンフィクションは世界的な潮流なんでしょうか?
「満州」というと、わたしは真っ先に「自由と希望の大地」と「棄民政策」とそこへの「侵略」を思い浮かべます。戊辰戦争と北海道、日中戦争と満州、太平洋戦争とブラジル。何度となく繰り返された話です。遡ると前九年の役とか出雲平定にまで行くかもしれません。
人々を満州に駆り立てたのは何なのか? 小さい頃、引き揚げて来た親戚から引きあげの修羅場の話を聞いたことがあります。多くは悲惨極まりないなものです。が、一方で使用人を使って大豪邸で暮らしていたという親戚もいます。満州はわたしにとって他人事ではありません。開拓民募集で北海道へ入植した祖父の子であるわたしにとってはなおのことです。
とりあえず、ジグソーパズルのピースは、ある程度著者の視点から提示されています。アマテラス帝国(太陽信仰)、蒙古襲来、奥羽越列藩同盟、満鉄、関東軍、七三一部隊、三光、歴史の闇にうごめく人の動きとそれを操った観念、八紘一宇、五族共和、王道楽土、わたしたちの潜在意識に潜むコンプレックスやルサンチマン、トラウマ。大きなうねりを作ったものもあれば、小さく見えるものもあります。それらはほんとうに小さかったのか? 個の体験に還元されてしまいがちな日常と、権力にまつろう大きな歴史、それらをピース(断片)やピースのまとまりとして提示した手法と力量は見事というしかありません。
それらをどのように組み合わせて仕上げるかは読者だと言うことなのかも知れませんね。
それにしても「大きな言葉」を聞いたら、眉に唾しなさいってくらいには教えられたわれわれが、「郵政民営化」でコロッとだまされちゃう。そのくらいだから、わたしたちにとっても次の世代に「伝える」ってことの重要性を思いますね。
愛国心論議が出て来たら、寺山修司の「マッチ擦るつかのまの海に霧ふかし 、身捨つるほどの祖国はありや」を思い出してくださいね。