大きく言って、わたしたちの今のような暮らし、といっても携帯電話やコンビニはまだない頃の暮らしがはじまったのは、産業革命がおきた頃からだと言われています。えっ、産業革命まで戻るのかと思われるでしょう。が、まあ、隠居や文人がいいといってもさすがに江戸時代ではありません。でも、「和風総本家」じゃないけど日本っていいなあ? 日本人でよかったなあ思うのはどんなときかを考えてみると、産業革命以前の時代にさかのぼる必要があります。そこまでいかないと何が大事かはみえてこないのです。
内燃機関の発達による十九世紀に起こった産業革命は、合理化と機械化を生み、労働という概念を生み、働く人を労働者にして疎外という概念を生みました。その結果、快適な生活環境を維持するために膨大な量の化石エネルギーを消費するようになりました。その結果、排出される二酸化炭素等の温室効果ガスが増大し、地球温暖化という深刻な問題に直面することになりました。この構造って、今も同じです。
それだけではありません。産業革命は原材料の確保と大量生産によってつくられた製品の販売先、すなわちマーケットを拡大するため植民地を求めました。その矛先は、アジアやアフリカに向けられました。植民地戦争が阿片戦争やインドシナ戦争など武力による侵略だったのに対し、今やその植民地戦争は経済戦争に姿を変えたのです。
日本の行方を考えると、産業革命に伴う考え方、合理化とか機械化とか労働疎外とか弱肉強食や競争原理の考えを是とする欧米のつくった考えから離脱する必要があります。
強いこと、大きいこと、速いことががいいとする考えを改める必要があるのではないでしょうか? スローライフもスモールイズビューティフルも手弱女も老人力も提唱されています。大国になんかならなくていい。強い国なんかお断りだ。札幌の「まほろば」は小国寡民を提唱しています。わたしたちが目指すのはそうした社会です。
2009/10/3
2009/9/7
招き猫とあひるを組み合わせたアフラックのCMがあります。あんな動きが猫やあひるに仕込んでできるはずもなく、言う迄もないことですがCGです。宮崎あおいがフューチャーされているのですが、このCMを見る度に思い出す言葉があります。
何故だか分らないけれど「ご隠居」です。ご隠居は、リタイアして何とか暮らしている我々全部がそうなのですが、江戸時代に言われたご隠居とは違うような気がします。かつてのイメージは、見たことはないのですが、縁側で囲碁をしていたり、通路に腰掛けを出して将棋をさしていたり、庭先で花に水をやったり、盆栽を剪定したり、書画をたしなんだり、骨董品の収集にいそしんでいたりする。そうそう、俳句を詠んだり、和歌をたしなんだりするのもそうです。いはば、生産活動をしていないすなわち労働をせずに暇を持て余して暮らしている暇人でした。私を含めて、私の周りにはたくさんいます。こういう人たちの特徴は、のんびりゆったりしていて何事にもスローで、なかには細川元首相のような趣味の陶芸で名をなしている人も、小銭を持っていればパチンコ屋通いをしている人もいるでしょう。「遊びをせんとや生まれけむ」はかの梁塵秘抄だったかにある言葉だそうですが、老いて生きる目的を遊びに出来る人はしあわせです。
隠居は、世の中から捨てられたのか? 世知辛い世を捨てたのか?、いわゆる「世捨て人」とは違いますが世間のしがらみからは縁遠くなって遊ぶ人たちです。世捨て人同然のご隠居といえば芸術家もそうでしょう。生産活動をしないから、世間の国民総生産とか経済等の計算には入らない。その世捨て人同様の人にも訪れるのが選挙です。生産活動はしていなくても、消費は避けられません。消費せずに生きるのは、自足自給が叫ばれている今日でも避けられないのです。
消費が避け難いものである以上、選挙は必須です。その選挙が1週間前にありました。
一足先に隠居暮らしをしているわたしも期日前の不在者投票をしました。
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