イヤシロチという言葉から誰もがすぐに連想するのは「癒しの地」だろう。イヤシロチに対応するのがケカレチで「気枯れ地」だとなれば、イヤシロチが「癒しの地」だと連想するのは極めて自然である。
ただ「癒し」はいつの間にか世間に流布してしまった不思議な言葉で、流通しはじめたのは八十年代後半だと「癒し」仕掛け人のように言われる文化人類学者の上田紀行東京工業大学教授はいう。一方、イヤシロチを提言したのは戦時中、天才的工学者といわれた楢崎皐月だというから、楢崎の時代には「癒し」はなかった言葉だ。楢崎のイヤシロチに当時あ
った漢字を当てれば「弥代地」や「弥栄地」「弥盛地」が妥当だろう。楢崎は「弥盛地」もあてていたようだ。
ヤは祝宴の席上などで、「両家の弥栄(イヤサカ)を祈願して」などと年寄りの挨拶に使われるので、かろうじて残
っている。末代までの子孫繁栄をいうめでたい言葉だ。ヤは八とも表記され、めでたい末広がりの数とされるように
なったが、もともとは、ィヤと発音したものだ。これも明治生まれの老人と話した経験のある人なら、「ヤ」音を「ィヤ」と発音しているのに気がつかれた方もいるに違いない。「イヤダ」というのがつづまって「ヤダ」になったと言えばもっと納得しやすいだろう。
シロは日常語では、糊代(のりしろ)が残っているが、神道でいう依代や形代を例にして考えるとわかりやすい。「や
しろ」は転用されて神社仏閣などの社ともなった。依代は神がおりる媒体の意味だ。
ィヤシロチを通して理解すれば、「子々孫々まで栄える霊的なエネルギー(神)が依る社、場所」とでもいうことになる。対語的に言われるケカレチは「気枯れ地」とされ、木が気を失って枯れる汚れた地、すなわち、生命力が衰えるというのはよくわかる。
「子々孫々まで栄える霊的なエネルギー(神)が依る社、場所」が「癒しの地」になり、船井幸雄氏のいう「万物が蘇生する場」になったのにも「気枯れ地」が生命力が衰える汚れた土地、というのも、たんに語呂合わせ以上の意味があるのだが、原点が楢崎が書いた『静電三方』だというのは違う。
『静電三方』にイヤシロチは出てこない。晩年、死の四年前、楢崎は『静電三方』を封印し、宇野天然会を中心に日本語の
原点探求を上古代語の「カタカムナ」の普及にシフトする。この宇野天然会が発行していたのが『相似象』学会誌で、この
『相似象』の六号、植物波農法に「イヤシロチ」という言葉が出てくる。
ただ、楢崎は昭和31、32年頃、全国の農業者向けに農地改善の提案に奮闘するのだが、その頃から「イヤシロチ」という言葉を使っていたと宇野天然会関係者はいう。