イヤシロチが弥代地で子々孫々まで繁栄する場を意味していて、「癒しの地」という言い方も当たらずとも遠くないと当て字であることは、前回書いた。
近藤洋一さんがやっているトータルヘルスデザインが発行している「弥盛地」ハンドブックに、「楢崎皐月の『静電三方』に出てくる」と書いてあったので、丹念に探してみたが見つからない。『相似象』に出てくると聞き、6,7号を読み返した。7号はほとんど植物波農法の話で丁寧に解説されていた。楢崎先生のことに詳しい友人に聞いてみたら、
生前、電子農法を普及していたころは、現場ではイヤシロチと言っていたようだというし、炭素埋設や植物波農法については、『静電三方』にも出てくるから、これも、初出がどちらかという程度のことで、間違いとかいうような話ではない。揚げ足取りをやっているのではない。
ただ、「万物が蘇生する場所がある」というのは、ちょっと違うんじゃないか。言いすぎだ。まあ、こう言っているのは、あの船井さんだ。(『イヤシロチ 万物が蘇生する場所がある』評言社)
蘇生するって言うのは、死から蘇る、瀕死の状況から蘇るっていうことだからね。キリストの復活みたいなことが、イヤシロチでは起こるって言ってるわけで、ちょっと言い過ぎだ。
とはいえ、「蘇生」を現代医学が見放した臨死からの帰還というくらいの意味で使っているのなら、そういう事態はありうる、と私は思っている。いや、イヤシロチではないが、極めて身近なところでそういう話を見聞きしている。
ここではちょっとその話にはちょっとその話にはたちいらない。イヤシロチが癒しの地で、それは生命場なのかも知れない、とつながったのは、ハロルド・サクストン・バーの『生命場の科学』日本教文社 を読んでいたからだ。
1972年にイエール大学解剖学の教授だったバーが残した遺作は、全ての生物がその輪郭に沿って成長するのは、生命に鋳型があるからだとし、それは不可視の電気力場=ライフフィールドであるとした。
私たちが、受胎の瞬間から40臆年という生命史を辿って生まれ、成長して、いまここにこのようなかたちで生を営んでいるのは、場にかかわるさまざまの物理的エネルギーが鋳型になっているのは極めてわかりやすい。
物理的エネルギーは、核力、核崩壊力、重力、電磁力、などとされているらしい。このへんは、私もまったく門外漢なので、素人に説明できるような詳しい人に伺いたい。専門家の話はまったくチンプンカンプンなので。
電気力場はいまではさまざまなところに応用されている。たとえば、嘘発見器である。嘘発見器の第一人者だったクリーヴ・バクスターは、引っ越しでもらった観葉植物のドラセナに表皮の電気抵抗をはかる電極をつないだところ、周囲の人間の意図や感情に電気的反応を示すことを発見した。世に言うバクスター効果である。これが、『植物の神秘生活』として発表され、植物の言語外コミュニケーションの可能性を世に知らせた。
話が横道にそれた。イヤシロチが生命場でいう電磁気場と大きく重なり、どうやらそれは、人間だけでなく植物にも及んでいるらしいというところまではわかっていただけたと思う。