amazonで「ラストサムライ」のDVDを買った。
先週末のことだ。
確か1000円しなかった。
そのときにチェックしたのは、他には「ラマン」「冒険者たち」「ネル」「ラストオブモヒカン」といちばん欲しい「二十四の瞳」だ。木下恵介はDVDボックスが出ているのだが、単作では売られていないし、3千円以上する。
丁度、LOHASマニュアルで江戸とか日本人の幸福感みたいなことを考えているときだった。幕末から明治に来日した外国人が、すみずみまで掃き清められた道、無邪気な子どもたち、質素だけれど幸福そうな庶民を見て絶賛しつつも、この文明が失われることを確信していつつも惜しんでいるというようなことを書いていた。
で、振り返るべき時代として60~70年代のカウンターカルチャー時代、昭和30年代、大正生命主義時代、江戸などと書いていた。
そんなこともあって、申し込んだ。意識的にではない。たまたまである。安かったのももちろんある。
そうしたら、今朝(12月6日)の朝日朝刊に教育基本法改定論議に新渡戸稲造の「武士道」が注目されているという記事があって、そこに「ラストサムライ」も引用されているのだ。しかも新渡戸が「武士道」を書いたのは階級としての武士がいなくなって100年後のことだともそえられていた。
吉田兼好が『徒然草』を書いたのは鎌倉後期だが、平安時代風に書いたものだと書いていたところだった。100年前に遡って書いたのだ。
言葉は時間を遡行する。言葉は「永遠の今」を現存させるタイムマシーンなのかもしれない。
言霊のさきわう国で、時間の乗り物をもらった幸せを忘れてはなるまい。
周りの人に、この5~6年、ほとんどシンクロニシティで暮らしてると話すことが多い。シンクロニシティ、意味ある偶然とか共時性とかいわれているあのシンクロニシティだ。
たとえば、しばらく連絡のなかった友人が突然連絡をくれ、ボランティアで福祉施設に行ってい、とにかく掃除をしているという。掃除で磨くのは便器でなく自分の心を磨くことなんだみたいなことを教えてくれる。
ちょうど、LOHASテーマのマニュアルづくりを頼まれていて、住まいと暮らしについて書かねばならず、まあ、拭き掃除のことを考えていたところだった。禅宗でも作務として修行として拭き掃除は徹底的にやらされる。
同じく京都と江戸みたいなテーマで考えていたら、そんなこと一言ももらしたことがないのに、カミさんが杉浦日向子の『一日、江戸人』を買ってきて読んでいる。そりゃ、いくら江戸ブームといっても、カミさんが「下町うまい老舗ガイド」みたいな実用書買ってくるならありえないわけじゃないけれど、「一日、江戸人」は考えてた主題そのものだからなあ。
土曜にCAMUNet仲間の忘年会があったので、19時からのタケシの五感をテーマにした番組を録画して翌日見たら、マサイ族の視力だ、4000種の匂いをかぎわける南仏グラースの調香師だののあと締めくくりが共感覚だもの。
ガイアシンフォニーNo6の試写会感想をCAMUNetのニュースレターに「共感覚」のことを書いたばかりだった。
この程度の偶然は毎日起きているので、多分、すべての人にあるのだと思う。アンテナをどっちに向けているのかと気をつけているかどうかくらいのものだと思う。厳密な意味でのシンクロニシティといえるかどうかもしらない。
で、今夜は村上龍がホストのカンブリア宮殿だ。手帳の特集で野口悠紀夫さんとeウーマンの佐々木さんが出ていた。ほぼニチ手帳の糸井さんも出て来た。すごい手帳ブームらしい。
この数年、能率協会のA5ノートを使っている。去年は奮発して革カバーまで買った。今更野口式に換えるわけにもいかない。けど重い。かさばる。
で、今は、無印の葉書サイズノートとA5に落ち着いた。無印はメモパッドだ。テレビを見るときもこれでメモをとる。1Pごとに必ず日付をいれる。
いつからか日本人は心を亡くす忙しいのが好きになったようだ。わたしにもかつてスケジュール入れることで安心していた時代があった。
今は、それはない。シンクロニシティに身を任せて、そのメモがあればいい。というかこのブログもそういう日記にしようと思う。
今回はまとまった書籍型から日記型への宣言です。