「場」と健康や生命の関わりを考える人間でなくても、「場」は馴染み深い言葉になっているのではないでしょうか。「場の雰囲気がよくて」とか「司会が面白くて場を盛り上げてくれた」「もっと場の雰囲気を読んだほうが」なんて使い方をしたりもします。ワールドカップをスポーツバーで観戦している人は、「場」を求めてバーに行くわけです。
「そりゃあ、家で一人でTV見てるのとは盛り上がり方が違いますよ。大勢で見てると元気がわきます」「場」の雰囲気、場の盛り上がりをつくるのがまず第一に人なのは今更言うまでもありません。
ただ、そのときの「場」を「環境」という言葉に置き換えることができるか? というと、多くの人はどちらかというと心理的意味合いで言っているのではないっでしょうか? 心理的なことだから、気持ちの問題だから、健康や生命との物理的相関はない。近代人の心身相関を切り離したがる悪い癖です。
故バー博士の生命場の研究は、その後二十世紀後半、生物電気学と呼ばれるようになったものの先駆といっていいでしょう。生命体には微細な電気の流れがあるというのは、キューリー夫人のピエゾ電流、メスメルの動物磁気にまで遡る発見です。今では脳波、心電図、からだは電気反応でチェックされます。からだばかりではあえいません。心理でさえ、嘘発見機で反応をチェックできます。
それはまた、エネルギー医学や生物物理、バクスター効果(バクスター氏は嘘発見機の専門家でした)、O-リングテスト、生物電気学、イヤシロチといった言葉にまで継ながっています。
この本は1988年に訳出され、関係者が想定しなかった反響でロングセラーとなった生体エネルギー研究の古典的名著です。長い間在庫切れでした。それが新版となって復刊したのです。
訳語の選択や初版で割愛せざるをえなかった表や説明を採録して蘇ったものです。目次を比較しただけでも、2部10項目だったものが2部7章5項目だてになっています。案内によれば、第1章と第2章はほとんど手をいれたそうです。
故バー博士は、微生物から、両生類、とうもころしの粒、樹木、外傷、排卵時期、悪性腫瘍、神経系など数多くの生物の発生期や成長期の電位差を測り、宇宙と共振する生命の鋳型を立証したのです。これこそ真に開かれた科学的試行であると言うべきものでしょう。もし、あなたが生体の電位差に疑問を持つなら、直流電圧計と接触させる器具さえ揃えればいいのですから。