「勘違いしていた」ってことがないわけじゃない。勘違いしたまま話をするもんだから、間違いを人に伝えてることもあり、それはおおいに反省している。だから、何かを伝えるとき、「アタシは思ってる」「・・・と考えてる」とか
「調べたわけじゃないけど」みたいな注釈が多くなる。ネットにしても書くときに曖昧な記憶に頼るわけにはいかないから、資料書籍が多くなる。そんなこともあって、本はもう捨てたいのに捨てられない。
ただ、思い込みに基づいた勘違いが意外と本質に沿っていることが少なくないのだ。たとえば、「イエスは妻帯者? ダヴィンチが言いたかったこと』や『聖地と生命場』でふれた荒俣宏さんの著作に『レックス・ムンディ』集英社文庫刊 がある。南仏レンヌ・ル・シャトーのマグダラのマリア教会の謎ときにはじまる荒俣さんの聖地さがしを小説じたてにしたものだ。アタシはこのタイトルを長いこと、ムー大陸やアトランティス、レムリア、ゴンドワナなどと呼ばれる地球創世記の大陸移動説で言われる大陸名のひとつだと考えていた。本を読んでみたら、「地上の王」の意味なんだそうな。ただそれはどうやら思い込んでいた地球創世記の超古代から言われていたものらしいから、その意味ではずれていない。
作中の主人公はレイライン・ハンターとなっているのだが、荒俣さん自身が投影されているのは間違いない。そのレイラインをアタシは地表のエネルギーの流れだと思っていた。風水でいう竜脈のようなもの、人間なら気の流れる経絡だから、レイラインは地球の経絡だ。そう思っている人も少なくないようだし、発端はともかく、そう理解するもあながち間違いではないと思う。レイラインにも歴史があるのだが、それは本を読んでほしい。
古代の探索が現代の宇宙論や物理の「場」理論につながっていくのは、わくわくするほど面白い。
こうした意味ある大きな出会いのひとつにフィリップ・カラハンさんとの出会いがある。
カラハンさんは昆虫学者でアンテナの専門家、常磁性の研究家でもある。二十年に一度の伊勢神宮の遷宮のとき、平成8年に開かれた「千年の森シンポジウム」で来日され、その翌年に当時の和蔵会の片山雄介さんたちが招聘し、日本各地で講演した。
早稲田奉仕園で行われた講演会で、「日本には戦時中天才的科学者で発明家がいた」と言っていたので、アタシはてっきり楢崎皐月のことだと思った。これは、エレクトリック・マイクロフォンの発明者だそうで、別人だった。戦時中のことなんて知らんもんなー、とは言えない。歴史には時代に先駆けしすぎて、日の当たらなかった埋もれた天才がたくさんいたというのがカラハンさんのいいたいことのひとつで、翻訳されたカラハンさんの『自然界の調律』にはエジソンのライバルと言われたニコラ・テスラーが一章をさいて登場する。
直感は検証してみると、自分の意識に引きづられていて、間違うことも少なくない。けれど注意深くしていれば、厳密であるより思わぬ拾いものがある。それぞれの人に発見の喜びがある。「いいかげん」はまずいけど、「良い加減」は大事にしたほうがいい。そのバランスが難しいんだけど・・・。