生命場っていう言葉を最初に知ったのは日本教文社から出ているハロルド・サクストン・バーの『生命場の科学』だったと思う。サブタイトルに「LIFE FIELD 見えざる生命の鋳型の発見」とある。何度も読み返すことになったアタシの座右の書でもある。一回じゃとても頭に入らなかったってだけのことだけど。
人類が連綿と同じような形態で生まれたり死んだりするのは、なぜだろう? 今なら、「そりゃ遺伝子が形態情報を伝えてるからなんじゃないの」って誰でも答えるんだろうけど、サクストンバー(1889~1973 エール大学神経解剖学名誉教授)の時代には遺伝子工学はまだそこまで発達していなかった。遺伝子のDNAとかRNAはタンパク質だそうだから、分子生物学から発見されたんだろうと思う。分子ってのはモノの最小単位だけど、物理でいうとモノの最小単位は粒子。もちろん分子も粒子も肉眼では見えない世界の話。電子顕微鏡や加速器でしか見えないもの相手にしている世界だからね。アタシら凡人には遠い。利己的な遺伝子説も唯遺伝子説もアタシには
違うように思われる。
サクストンバーは、細胞が代謝して、まあ生死を繰り返してと言ってもいいだろうけど、半年後にはすっかり入れ替わってしまっても同じなのは、鋳型のように働く場があるからで、それは電気力場だと考えた。これも今だと電磁気場っていうことだろうと思う。言い換えると、生命が私たちがあるように発現するのは、そのための条件として電磁気の場があるからだと考え、その鋳型の形がわかれば、生命が再現したり復元したり、治癒力が活性する仕組みがわかると考えたわけだ。
この「場」の理論はその後、継承され、今ではマクタガードの『フィールド 響き合う生命・意識・宇宙』河出書房新社という本やラズローの『叡智の海・宇宙』日本教文社になっているけれど、ここでは深追いしない。
私たちは電子機器に囲まれて暮らしている。テレビも携帯電話もこのインターネットも電気や電子の力を借りている。テレビがどうして映るか? 携帯電話で話ができるのはなぜ? インターネットへの接続の仕組み、などなど考えてみると面白い。まあ、一度考えてみてもいいんじゃないかと思う。
生命の信号系であるシナプスの末端でやりとりしているのは電子的なものだというから、とりあえず、人間の生命の根源をサクストンバーにならって電気的に考えてみるのもいい。
たとえば、嘘発見機だ。嘘発見機は質問にNOと答えるときの生理反応を拾って、正邪を判断するわけだが、親指と人差し指の指先でつくった輪のとじ具合で判断するO-リングテストも、あげた腕の抵抗力でみるキネシオロジーもフーチも、意識以上に微細に反応する筋肉反射で判断する。モダン・ホメオパシーや波動測定器で使うブローブも測っているのは皮膚の電気抵抗だという。
サクストンバーが生命場が電磁気場だというのは、その点ではわかりやすい。ここに物理が入ってくると、核力とか核崩壊力とか重力とかまあややこしいものがたくさん出てくるからだ。物理はまったく疎いので、ごめんなさいです。ニールスボーアやハイゼンベルグが提唱した波動性っていうのは大命題だけど、私たちはもうモノの世界で生きているわけではないって知っていれば、生命場の考え方はすんなり入ると思う。