サントゥスタッシュのクリスマスのあとから、フランスの地方にいくとなるべく教会に行くようになった。パイプオルガンの演奏のある日曜日朝のミサのときに行くのだ。キリスト教徒でもないのにである。入り口のローソクの灯明以外に光のない暗い礼拝堂にステンドグラスから差し込む光、そこに荘重なオルガン曲が流れる。それは圧倒的な仕掛けである。人々がキリスト教に帰依したのもムリはない。誰があの音と光による圧倒的な感動を拒否できるだろうか? その謎は教会にあると確信していた
パリの南にバラ窓で知られるシャルトルの大聖堂がある。ある日曜の朝、ミサに出かけた。といってもついたのは、参列客が帰り出す時間だった。まあ別に説教を聞きに行ったわけじゃない。ほとんど誰もいなくなった頃、急にそれまでのミサ曲とはうって変わって、激しいロックのような現代音楽のような曲になった。ボリュームも割れんばかりに大きくなった。
すごかった。
参列のベンチの座板の震えが肛門にビリビリ伝わった。教会全体を揺るがすほどの演奏は10分ほど続いて終わった。フランスの場合、教会のパイプオルガン奏者はボザール(芸大)のオルガン科出身者だと、故森有正さんのインタビューだったか? で聞いたことがある。だとすると、きっと日頃のミサ曲の演奏に相当な表現上の欲求不満をためていたのかもしれない。こんな演奏者の公演をやってくれたらいいのにとあとで思ったものだ。
茫然自失のていで教会を出た私は、このとき「教会は空前絶後の音響装置で、壮大な楽器だ」と確信した。
音が空気の振動となり、疎と密の波となり、周囲のものの形や材質に共振し、それがある特定周波数を増幅して、鼓膜や骨伝導によって内耳に伝わり、内耳前庭のツチ・キヌタ・アブミの三小骨を介して蝸牛館を満たすリンパ液の振動となり、揺れる絨毛が神経信号になる。ここまではとてもわかりやすい。内耳三小骨の緊張が固定化すると聴覚障害ばかりかさまざまの心身障害の原因になることを教えてくれたのはフランスのトマティス博士だ。
事物には固体振動数があること、周波数は単位時間の波動の振動数をいうわけだが、当然、共振する場の形に影響を受けること。コンサートホールの設計やスピーカーにこだわるオーディオマニアならならほとんど自明のようにわかる話ではなのだと思う。