かつて酒は「百薬の長」と言われていました。それが、昨今では酒は糖尿病ばかりでなく、ほとんどすべての病気の敵です。昔、薬の長だったものが、今は敵というのは、いったいどういうことなのでしょう。イタリアのグロッグやフランスのワインはもう薬のようには使われないのでしょうか?
千葉県香取の蔵元寺田本家の当主寺田啓左さんが、百薬の長の酒を仕込むことはできないかと思うようになったのは、35歳のとき十二指腸潰瘍と痔を患ったのがきっかけだったそうです。経営が思うようにいかないストレスで毎日眠れない日々だったといいます。
戦後、日本酒はカストリ酒から醸造用アルコールを添加した、いわゆるアル添酒が主流になりました。さらに、地酒ブームで、吟醸・大吟醸も人気になりました。米の栄養の宝庫である胚芽を削って芯白だけに磨きあげた、丸い粒で仕込む日本酒への変遷は、寺田さんが思い描く百薬の長への道とは逆行するものだったに違いありません。
それが、無農薬米で仕込んだ酒を自然酒と呼んで蔵元を応援していた川崎の片山本店の片山雄介さんが主宰していた「和蔵会」との出会いで道が変わってきたのです。
和蔵会は日本各地で蔵元見学ツアーをやっていたのですが、伊勢神宮での集まりのとき、奉納するお神酒の作り方を書いた古文書を見つけたのです。そこには発芽玄米で仕込むことと、発酵をとめる火入れをしない「火無浄酒」とが書かれていたそうです。さらに新嘗祭のときに神社本庁が出している新聞に詳しい古代酒の作り方が掲載されていたという偶然が重なったのです。
きっと古代の「百薬の長」の酒は現在の酒とは違ったものだったに違いないと確信した寺田さんは、田んぼに炭埋し、古代米の赤米「アカヒバリ」を無農薬栽培して発芽玄米にし、蔵付き菌を単離培養して酒を仕込んだのです。
できた「むすひ」は、酒度7~11%の泡立つ発泡酒のようなものでした。吟醸の味に慣れている人には「日本一まずいお酒です」と呼びかけたのですが、意外、若い女性からは「どぶろくシャンパン」と歓迎されたのです。酒というよりさっぱりした酸味の強い乳酸飲料のような感じでしょうか?
それが、糖尿病や高血圧にいいといった声が聞かれるようになってきたのです。
古代のつくり方にもどることで、百薬の長がよみがえったのです。