『わたしが治る12の力』上野圭一著 学陽書房
あっという間に読んでしまった。一日半約5時間というのは読書スピードの遅い私としては驚異だ。ここでは、本の内容に踏み込む前に、私たちの暮らしの場にある共感について触れてみたい。
最近、本を読むようになった息子と速読術の話をしていた。栗田昌裕博士の文庫本を紹介してやった。栗田先生は国際生命情報学会で「共鳴カード」による実験報告をされている方だ。この実験報告は、意思伝達やシンクロニシティや直観伝達が同時にある方向にそって起きたという注目すべきものだが、これについては別なところで書こう。
むしろ、栗田先生は、3Dによる視力回復で話題になったので、そっちのほうで知っているという人のほうが多いかも知れない。目を読む装置としてではなく、写す装置として使うという発想は一点凝視型の体質で、居眠り運転になりがちだった私には目から鱗の提案だった。
とりあえず、本に従ってやってみた息子の感想は、「目の使い方を望遠型から広角型に変え」「読むのでなく写す」というのはすごく疲れる。ただ、集中力が増した」。それよりも「読む時間を意識するだけで速さが変わる」ということだった。彼の結論は、やみくもに情報を取り込もうとする速読より、自分の興味や関心にあわせて音読や精読や速読を組み合わせればいいんじゃない、という極めてまっとうなものだった。
誰にとっても「出会い」がある。本も同じだ。なおかつ、本には自分の理解力や関心にあわせて、何度も読み返したり、その時々で見え方が変わったりもするという不思議な現象が起こる。
そのときの自分にぴったりあうとこんなにスイスイと読めるモノか。というのが驚きだった。
11月から12月の前半にかけてトマティス・メソッドの通信教育をモニターさせていただいていた。
かつては、23日間センターまで通わなければならなかったメソッドが在宅でできるようになったのだという。この聴覚矯正の通信教育システムは、「英語耳」をすすめている伝聴研の傳田さんのところで聞いて、まあ傳田さんのところでやっているのなら、と検討をつけて連絡してみたというわけだ。トマティス・センターの村瀬さんに『代替療法ナビ』への取材御礼もかねて市ヶ谷まででかけた。村瀬さんとは彼女が日本にトマティス・メソッドを導入した頃からのつきあいで、快くモニターを了承してくれた。
ただ、私は語学や音楽教育といった目的でなく、脳溢血の後遺症傷害が残っているので、そうした心身にどういう変化が起きるのかだった。
目的とした身体的異和は、首を回したときに起きる耳鳴り、肩こり、左のこめかみ麻痺、左の口唇周辺を中心にした顔面麻痺、不随のからだをムリに使うことによって起きている左の腰、大腿部の痺れの改善などだ。呼吸法と古代酒「むすひ」でコントロールできるようになった高血圧も対象になった。トマティス・メソッドは日本では治療目的で展開されてはないので、せいぜいが、心因性と考えられるものに寄与できるというくらいの言い方ですすめられてきた。今も村瀬さんは「療法」という言い方は避けておられるように見える。
ただ、メニエール氏症候群、音楽家の聴覚矯正、自閉症、うつ、難聴、発達障害などに改善が見られたケースを取材してきたものとしては、もう少し代替医療よりの情報発信をしてもいいのではないかと私は思ってきたので、この BROGでは「トマティス療法」というタイトルにしている。昨今だれもが耳にしたことがあるに違いない「英語耳」や「モーツァルト療法」の発案者はじつはトマティス博士であることを人々は知っておいたほうがいい、という思いもある。
厚いアタッシュケースのような収納ケースが宅急便で届いた。この機械をとおして、気導と骨導の聴覚テストに基づいて調整されたモーツァルトとグレゴリオ聖歌を、骨導振動パットがついた特製のヘッドホンで、毎日1時間半から2時間、23日間毎日聴くのである。途中1日の定着休みがあるらしいが・・・。聴覚テストは終えている。かつて気導と骨導が平行な曲線を描いていたのが、今回は骨導で伝わっていない周波数帯域があったのは、予測できたこととはいえ、少々ショックだった。
かつて、トマティス・メソッドの本をつくるというお話をいただいたとき、とりあえず体験してみてくださいと言われ、そのトレーニングを同僚に頼んだことがある。その同僚からは何の変化も感じられず23日間通わされたことを何度も愚痴られたということがあって、今度はいよいよ自分でということだったのだが、その徒労のような彼の思いが私にもわかった。当時は今のような通信教育はなかったので、新宿まで通うのはほんとうに大変だったに違いない。
ただ、私の場合わずかだが、変調はあった。左こめかみのひきつるような麻痺感が和らいだ。左目をきっちり瞼を開けて見ようとしても、開かないのが、なんとか開く感じがする。麻痺がなくなったわけじゃないけれど、薄らいで全面に拡がったような感じだ。といっても違和感はある。注意深くしていなければ、気がつかないくらいの変化だ。