26日 科学技術館のサイエンスホールでマクロビオティック・シンポジウムがあった。朝は雨だった。困った。片手で杖をついていては傘をさせない。飯田橋からタクシーで向かうことにして10時過ぎに出た。地下鉄は空いていた。私の前にはまだ言葉も話せない女の子が座っていて、そのときせんべい布団の上で背骨ゆらし瞑想をしていたとき、浮かんだ言葉を思い出した。
「汝、能く嬰児たらんや」
言葉も知らない無垢な赤ん坊のようで、ありなさい。というとき使われる言葉だ。津村喬さんも「草津日記」でよく引用していた。犬や猫に向かうときのように、心を無にして、彼女の片言の喃語を真似てみた。最近はうかつに声もかけられない。変なおっさんだからなあ、こっちは。
ただそれだけのことだが、地下鉄の車中は楽しいものになった。
シンポジウムの講師は新松戸にある島村トータルケアクリニックで保健師を勤めておられる松下由美さん、このクリニックの中心は、玄米食を出すマクロビオティックのレストランだそうだ。入院食も玄米だという。いちばんよかったのは、みんなで食事するようになって、クリニックの雰囲気が家庭的なものに変わったということだ。もともとピアノがあってミニコンサートをやったり、集会場では数十人のイベントや講習会も開いてきたというから、病院とかクリニックという言葉はふさわしくないのかもしれない。んーむ、いってみたい。病床は16ということだが、「空いていれば、お泊まりいただいても」って、それってホテルかい。健康診断受けて元気になって帰ってくるんなら、いいね。
河口湖にある介護老人保健施設「はまなす」の院長、福田六花さんは、大学時代に純正律の玉木宏樹さんに出会い、外科医から介護施設の院長になった、葉加瀬太郎みたいなベートーベンみたいな乱髪のシンガーソングドクターである。まあ、どうみても介護老人保健施設の院長にはみえない。最初あったとき、会場間違えたかと思ったくらいだからね。70年代のヒッピー時代にタイムスリップしたような感じだね。外科医からの転進の理由をききわすれたけれど、「マラソンやるには河口湖のほうがいいんです」だからね。ちなみに六花さんは、医者でミュージシャンで、マラソンランナーなのね。かれこれ十年以上前にあったときも、マラソン出場のため体調調整していた。「東京の環境が悪い」とか「千人も切ってると人を切っている気がしなくなる」って言わないところがいい。「むなしくなったんです」だ。
ここは回廊式になっているそうで、縛らない、閉じ込めない、強制的に眠らさない、のを原則にしているという。一周年の記念式典のとき、純正律のCDをかけたら、普段は多動で3分とじっとしていない患者が静かに聞いてくれたのに驚いて、翌日から夕方院内で流し始めたら、夜間の回廊徘徊が減るようになったのだという。いくら患者の自由を拘束せずにといっても、40人の老人を二人の当直でみるのは大変だったらしい。
便器の水で顔を洗う、転倒してケガをする。気の休まる暇もない。それが目にみえて減ったというのだから、驚異だ。
「痴呆の老人は自分の世界で生きていて、何かを探している。探しているものがわからずに」という話が印象的だった。
じつは、『代替療法ナビ』の本の話をさせていただけるというので、のこのこ出て行ったわけだ。で、本の話はあとまわしにして、話させてもらったのが、毎朝、背骨ゆらし瞑想をするようになって、暮らしのなかでシンクロシティが多く起きるようになったということだ。わたしの背骨ゆらし瞑想は、無念無双を至るべきところとする座禅や瞑想とはちがう。まあ、湧いてくる想念は湧くにまかせて流しましょう、というお気楽なものである。
だから、最初はからだに意識を向けからだの声を聞き、次に外から飛び込む鳥のさえずりや朝日の光に身をまかせ、浮かんでくる言葉に意識を集中する。
ほとんど夢見状態だから、背骨ゆらしが終わると何を想っていたか忘れているくらいである。だが、地下鉄のなかで前に嬰児が座っているようなことが起きると、瞑想中にこの成句を考えていたことを思い出すのだ。
短い時間のなかで、背骨ゆらしを体験してもらい、それを毎日ごはんを食べたり、顔を洗ったりするように繰り返してほしいということを伝えた。はたして、何人の人が背骨ゆらしを身につけてくれるのだろう。