年が明けて四日目。年の初めに、抱負を語るという習わしが三日坊主を生んだり、有言不実行を悔いるようにしたのかどうかは知らない。
まあ、今年はも、今年こそはも、言えるだけでも元気なうち。
齢六十にして、後半生でやりたいこと100をあげて実行している嵐山光三郎に習って、その半分の50でもあげてみようか。
温泉・瞑想・カタカムナ音読・ホーミー・岩盤浴・エレメンツデザイン・書画・俳句・絵手紙・外国語・明晰夢などなど、まあ、やりたいことはたくさんある。たくさんでもないか? 50あげるだけでも大変だ。
それに、いくつか行きたいところもある。新しいところに行きたいわけではない。どちらかというと、過去に行ったことのあるところだ。
京都・綾部・讃岐・パリ・バリ。どこもそこで暮らす人々の生活にお邪魔して、
人がどにょうに暮らすのかを探りたい、というのが目的なので、数日間の観光旅行といわけにはいかない。いわゆる短期滞在型ということになる。
居場所もつくらなくてはいけないので、そうそう旅ばかりというわけにもいかないから、これは今年のというわけにはいかない。
まあ、日々と季節の抱負はあるけれど、「今年の」となるとなあ、あんまり思い浮かばないのだよ、実は。
大晦日に、そば。元旦にお雑煮とおせち。
そばは、近くの屯田通りにあるそば屋「清の屋」のそば。
北海道はそば文化圏のはずれだろう。
はじめてそばを食ったのが、確か中学1年のときだったと思う。いただいたのは、引っ越しそばだった。それ以来、大人になるまでほとんどそばを食ったことはなかった。
まあ、世代とか年齢もあるだろう。縁遠かかったそばが気になりだしたのはこの20年~30年のことだ。
札幌のそば屋が美味いというのを教えてくれたのは、高校時代の同期生だった。札幌のそば屋番付表までいただいた。確かに平均すると関東より美味いような感じもしてきた。そばの生産量も日本一だそうだから、けだし当然か。
「清の屋」のそばで年をしめ、「ゆく年くる年」を見て、やっぱり日本の寺や神社はいいねえと話しつつ寝て、あけて元旦、お雑煮をいただいた。
だしのきいた美味い雑煮だった。小松菜と竹の子に三つ葉とゆず。関東風である。小さい頃は、白みそに丸あん餅だった。それが讃岐の雑煮なのはあとから聞いた。わたしは、我が家が讃岐の出なのをこうして知った。
いい正月だ。
不思議なことに元旦は晴れる。というか晴れたという記憶が鮮やかだ。小さい頃雪だったこともあるけれど、不思議に晴れていた。あの清明なひとときは忘れられない。
さて、今年は、讃岐にも足を伸ばしてみようか?