およそ8年くらいになるでしょうか、毎朝背骨ゆらしをやっています。せんべい布団の上にあぐらをかいて、前後左右右まわり、左まわりにゆ~っくりと背骨をゆらしたりまわしたりするのです。
最初の頃は、教わったとおりそれぞれ9回合計36回やっていました。どのくらいゆっくりかというと1回が1分とすれば36分だし、半分だとすれば、18分になります。
計測しても、そのことに意味はないけれど、人に伝えるにはということもあって何分くらいやっているか、時計に注意していた頃があります。わたしの場合は20分くらいでした。1つの動きに30秒かけていたことになるわけです。
まあほとんどスローモーションです。
背骨ゆらしは「自発動」でもあるというので、どうしなさいというきまりはありません。風にそよぐ柳のようでも、海底のわかめのようでも、メッカに祈るイスラム教徒のようでも、五体投地をくり返すチベットの民でも、西式健康法のやり方でもいいのです。唯一、大事なのは続けてライフスタイルにすることでしょう。
何かを続けるのに必要なのは「気持ちよさ」だとわかったのは、わたしがもともと三日坊主だったからです。
その次に「背骨ゆらし」を続けられた理由は、毎日のようにシンクロニシティが起こるようになったことです。
「意味ある偶然」などといわれるアレです。共時性のほうがわかりやすいでしょうか。偶然、自分の想いが伝わった、共振したとしか考えられない現象が続くと、自分は集合的無意識にアクセスできると考えたりします。
トランス・パーソナル状態になっているとき「自分」なんてことはもちろん意識していません。雑念は流し、残った認識だけ意識します。わたしの場合は、それが「気持ちいい」だったのです。
で、今回のロハステキストでは、「背骨ゆらし」を「背骨ゆらしの瞑想」とこの宝ものを教えてくれた津村さんに許可をいただいて、「瞑想」にしたのです。