久しぶりの清々しい朝でした。
リラの花冷え、えぞ梅雨が続く日々で、今年はどうしたんだろう、と妻と話していました。
いつもは陽が入らない西向きの部屋でも明るい朝が迎えられました。
妻が朝、窓を開けてくれます。涼しい空気が窓から入って来て布団の中は温かい。これが絶妙に気持ちがいいのです。しばし、惰眠を貪ります。
起きたくない気持ちに抗っておきます。
起き上がって、布団の上にあぐらをかいて前後の背骨ゆらしをします。背骨ゆらしに丹田呼吸法をあわせるのです。
肛門から吸気を吸って背骨に沿って吸気を登らせます。イメージです。その吸気を今度は腹側に沿って下ろします。呼気を吐ききって背骨をぴったり倒します。気功では小周天をまわすというようです。
呼気を吐ききると苦しかったときのことが思い出されます。あのときは、ほんとうに苦しくて掛け布団を抱いてうつぶせにならなければ眠れない状態でした。倒れる前のことです。
経済的な苦しさが息苦しさにつながっていると知ったのは、そんな経験があってのことです。
今、こうして息を吐き出せるのは幸せだからなんだと思いながら、吐ききると浄化されたような気がします。そんなふうにして背骨を前後に深くゆするのでした。
気持ちがよくて時間のたつのを忘れていました。
2009/6/24
2009/6/22
古いものがいいというのは、何も書画骨董の世界ばかりではありません。古民家もそうです、
反対に、古くなって使い勝手が悪くなった狭小住宅をリフォームする番組「劇的before、after」が人気ですが、ほとんど改築と言ってもいいような家がリフォームと言うのはともかくとして、新たな息吹が吹き込まれ様々な細工を凝らした新しくなった家を多くのリフォーム相談者は歓迎しているようです。そこでもいつも注意しているのは、相談者の生活の記憶です。
先週、近くの古民家「あじと3」で開かれたクリスタルボウルの牧野さんの演奏会に行って来きました。
「あじと3」の写真はhttp://www.pinpoint.ne.jp/manpokei/2009/06/14/
ご覧のように住宅街にそこだけ別世界のようなまわりを木で囲まれた緑の一角があります。そこに、つたに覆われていたような気がしますが、一軒の木造の古民家が建っています。
玄関を入ると、普通の家ですから靴を脱がなくちゃいけないかと思って聞いたら中は土足でよかった。表玄関はガラスドアに改装されていました。
入ると3~40畳くらいの部屋があって不揃いの古いソファが並んでいる。思わず、70年代に通った下北沢のjazzとシャンソンの店「マサコ」を思い出して、主催者の磯田さんに「マサコみたいだねー」、と言ってしまいました。懐かしいという思いが湧いてきました。
正面は全面古いガラス窓で、冬は寒いだろうなぁ、と余計な心配をしましたが、外の木立のかげが映り込んで何とも言えずきれいでした。夏至まじかの夕闇のなかで聴くクリスタルボウルは最高でした。
今、マンション建築の話が出ています。古い家とマンションとはどこが違うのでしょうか? 建物を建てるというとまず緑の木々を切ります。「あじと3」のような木で囲まれた敷地は真っ先に木々を伐採するでしょう。木々を伐採しないで、ムダと思われる空間を活かして、合理性や効率だけに走らないマンションならいいのでしょうか? それともエコロジーを指針にしてカーボン・ニュートラルのペレットストーブのついたマンションならいいのでしょうか? 古きを尋ねて新しきを知る温故知新のほんとうの意味を教えてください。