「感応、官能の極北のことを『自律神経の快楽』って言ってそれこそが、命の変革だと言ってるのは気功の第一人者津村喬さんです。法悦でも悦楽でもエクスタシーでも変性意識でも、なんと呼んでもいいんだけれど、かく言うわたしもそっちのほう。」
「はまってるものは『不思議な音と変性意識』『炭と水とイヤシロチ』『微細エネルギーと代替医療』『古代の知恵と巨石』「常磁性」『マクロビオティックと有機農業』『気持ちいい自然』。一言で言えば、共鳴といのちの仕組みっていうことでしょうか」と以前、mixiのプロフィールに書いたことがあります。
官能とかエクスタシーと言うと下世話な方を思い浮かべる人も多いんでしょうが、あえて誤解を怖れずに言えば、若い頃のわたしは官能主義者であった時期もありました。わたしの好きな映画監督パトリス・ル・コントの名画『髪結いの亭主』の宣伝文句風に言えば、かほりたつ官能という言葉が適当かも知れません。
有名な音楽評論家に皆川達夫さんがいます。その皆川さんは、中世音楽合唱団という市民合唱団を指揮してもいるのですが、合唱しているときに恍惚境に至る人が多いことを言っておられました。合唱中にそれこそ極楽にいるような至福感を感じるのだそうです。そこで楽屋をたずねて、あれは「倍音のことですよね」とお聞きしました。返事は「その通りです。」でした。
倍音環境は自然の模写です。人間の感覚は自然が放つ光・音・匂・味・熱などを異和として差として感じ、それに対して共振するように発達したものだからです。やがてその中に特異な領域があることを発見しました。それが倍音です。
音や音楽における倍音、光や美しい絵画における黄金分割のようにはまだ名付けられていない匂いや味覚・触覚、その総合感覚である温泉のような自然にも感応はあるでしょう。
自然に感応するエロスは生命の輝きです。誰も否定はできません。
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