聖なる場所とエネルギー場の関係を身の回りで起きていることから見てきたが、ちょっとまとめておいたほうがいいかも知れない。いくつも疑問が湧いてくる。
古代の聖なる場は、エネルギー場なのか? エネルギー場といわれていわれているものは、サクストン・バーが言った電磁気的な「生命場」なのか? その「生命場」は楢崎皐月が言った「イヤシロチ」にどう重なるのか? イヤシロチは、地球のエネルギーラインとされる「レイライン」や風水で言う「竜脈」上にのみあるのか? その場に働いている原理は、ある種の岩石が放射する「周波数」や「常磁性」であるとすれば、どういう生物がその周波数や磁性に感応するのか? 感応する原理が共鳴と干渉だとすれば、共鳴と干渉はわたしたちにとってどのように有効なのか? それぞれの反応の違いは? イヤー、途方もない作業だね、これは。
クリスタルボウルを聞いたりアロマテラピーで匂いをかいで、変性意識状態に誘導された人はなんとなくこのへんのことがわかるんじゃないかと思う。「場のポテンシャルをあげる」というのはホリスティック医学の先駆者である帯津三敬病院の帯津先生がよく言っていたきまり文句のひとつ。
帯津先生は、気功はこの「場のポテンシャルをあげる」営みだと考えているようだ。ここで言う「場」とはからだの中のこと。
70年代に中国で針麻酔を見学したとき、その驚きとともに「針麻酔を受ける患者には気功が義務づけられている」という点に
注目したそうだ。針をうつだけで、麻酔を使わず開頭したり開胸したり、手術中も医者と話しているという針麻酔の驚異はよく聞く話だが、普通は、そっちのほうに目がいってしまう。針麻酔の結果よりも事前の準備、繰り返しに注意する、気功の功っていうのは繰り返すっていうような意味の漢字らしい。こういうtころに気がつくのが帯津先生のすごいところだ。
場は自分の外側だけでなく内側にもあるというのは、ものの見方が変わる発見であるに違いない。人間のからだが隙間、空間だらけなのはダイビングをやったことのある人でなくともご承知のはずだ。肺も胃も腸も腹腔もみんな袋だ。外界と内界がどのように影響しあっているのか? わたしたちのからだまで含めて生命場を考えると謎ときの道筋が見えてくる? それともますます混迷する?
「生命場」を難しく考えず、「生物の生理が活性化するエネルギー状態にある場のこと」くらいに定義しておけば、これは間違いなくイヤシロチのことだ。イヤシロチは「癒しの地」とされているが、イヤは弥栄(やさか)の語源となった子々孫々までの繁栄を意味する音だし、シロは依代、形代などと言われるなんだかよくわからない霊的エネルギーが誘導されるお社の音である。結婚式で「ご両家のイヤサカをお祈りする」なんてセリフを昔はよく聞かされたものだ。そのあたりを加味して訳せば、「イヤシロチとは、子々孫々まで末広がりに繁栄する未知のエネルギーが集まる癒しの場」ということになる。
場にかかわるエネルギーのありようが、段々科学的に説明できるようになってきた。活性酸素が細胞老化の原因となることや還元力の強い酸化還元電位も日常語になってきた。マイナスイオンも家電製品にまで発生器がつく時代になった。微弱なラジウム線が生体活性を高めるのも報告されているようだ。化学と物理と生物のつながりがわかってきたとはいうものの、細部はわかってきたのに全体の関係性を見通す方法が脆弱だ。放射線の一種ラジウム線の微量被爆ががん治療に有効で、大量被爆ががんを誘発し、がん細胞を殺すというのもよくわからない。チェルノブイリで放射線被爆してがんになった子供に放射線治療する。おかしな話ではないか?
微細で細密なエネルギーに繰り返し働きかける、じつは、ここに生命の謎があるような気がするのだ
コメント (0) »
この記事にはまだコメントがついていません。
コメント RSS トラックバック URI
コメントをどうぞ