昨年の秋、京都に行った。
主たる目的は「健康フォーラム」に参加することだった。できあがったばかりの『代替療法ナビ』をこのフォーラムでとりあげてもらえそうだったからだ。
本音を言えば、春先から京都暮らし、大阪通勤をはじめていた娘の様子を見たくもあった。
娘が暮らしていたのは松尾大社の川向かいにある梅の宮大社近くだったので、松尾大社にもよってみた。
想像以上に大きな神社だった。大社というくらいだからあたり前か。宝物殿の横には、なんとかいう著名な造園家がつくった磐座の庭という石庭があり、うしろの松尾山に登る登山道もあった。松尾大社のご神体はこの松尾山の頂上近くにある巨石らしく、社務所では、途中の遥拝所から投げる素焼きの杯を売っていた。
古代に人々が信仰していたのは巨石と太陽であったとする『京都魔界巡礼』のとおりだった。それだけではない。松尾大社は東映京都撮影所で知られる太秦にあるのだが、ここには奇妙な鳥居がある古い神社がある。通称、蚕の杜神社。うっそうと霊気の漂うようなこの神社、日本の養蚕業はここから始まったとされている。日本に養蚕をもたらしたのはこの太秦の守護者だった秦河勝で、この人は渡来系の人だという。太陽信仰や巨石信仰、養蚕業もどうもこの人に関わりがあるらしい。
京都はいたるところに石庭のある町だ。泊まった知恩院の宿坊「知順会館」の中庭も石庭になっており、堀川の妙蓮寺の十二羅漢の庭も石庭だった。日本は石の国だと看破したカラハンさんのいうとおりだ。松尾大社では、これらの石や二条城の城壁の石は讃岐から水運で運んだものだといっていた。
うーん、サヌカイトかぁ。古代の人々や石庭をつくった人たちは、いったい石に何を見ていたのだろう? 日本は石の文化の国だといったカラハンさんの卓見どおりなら、これらの石のおかげで私たちは豊かな緑と水に育まれてきた、ということになるのだが・・・。
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